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ヨーガと食:2

皆さんは、食生活気につけていますか?楽しんでしますか?

ヨーガの見地かからいうと、善性優位の人は、完全に菜食になります。一般的にも健康志向でベジタリアンが増えていますね。
一括りにベジタリアンといっても、最も厳格になると出汁やスープも全て植物性ということになり、ケーキやクッキーにも卵やバターは使わないのですが、緩やかなベジタリアンでは、乳製品や卵は許容するものもあります。インドでは、乳製品は摂るというラクト・ベジタリアンが主流のようです。ベジタリアンに対応した料理、食品には緑色の丸のマーク、それ以外の材料が入っている場合には赤い丸のマークが付いていて、分かりやすくなっています。けれども、リシケシなど、街全体が当然ベジタリアンの地域では、特にマークは付いていないようです。character4

さて、ヨーガをしている人は皆ベジタリアンなのでしょうか?
または、ヨーガをしている人はベジタリアンにならなければならないのでしょうか?

答えは、どちらも、No.です。

実際、ヨーガのアーサナ、呼吸法、瞑想などを続けていくと自然に嗜好が変わってくると思います。自然に善性優位の食べ物を食べたいと思うことが増えてきます。動性・暗性優位のものをそれほど欲しなくなるのです。

けれども、もし、「身体は欲しがっている、食べたい!と思う。でも、我慢して食べない」というのでは、ヨーガ的にはもう食べているのと同じになります。ラージャ・ヨーガ8部門の最初、禁戒に不盗(自分に属さないものを取らない)があります。
自分は食べないと決めても、他の人の食べ物を見て羨ましい、食べたいと思う。
その時、もう目で、鼻で、耳で、心で盗みを働いている(=食べている)というわけです。

隣から、ジューッとステーキが焼ける音と香りが漂ってきた時に、「美味しそうだな」と全然思わなくて「あ、ステーキだね」と思う。それ以上でもなくそれ以下でもない。それが、ベジタリアンです。ましてや、「あーんな体に悪いものを食べてちゃいけないんだよ」などど、他人を批判することもありません。
そういう気持ちが湧いてくる時には、自分自身のわがままな気持ちが根っこにあるのです。
自然に無理なくベジタリアン、というのがヨーガのベジタリアンです。

ところで、私自身はどうかというと、現在は菜食中心の雑食です。
お肉も魚も少し食べます。以前、数年間ほぼ完全にベジ生活をしていたことがあります。もちろん、我慢してではなく食べたくなかったからです。けれども、完全ベジ生活は結構大変です。世の中には食べられないものがあふれているのに、食べられるものが少なすぎて、ストレスも溜まります。それで、徐々に雑食に戻りました。そして雑食の方が私にとっては健康的である気がしています。

ヨーガを学んで、善性の食べ物がいいような気がするのは、頭でそう思うだけだと思います。
では、身体は何を欲しているのか?

そもそも、日本人は長年お米中心の菜食だったというのを私は信じません。
私たちの身体のDNAの歴史はもっともっと古い記憶を持っているはずです。日本に米作文化が入ってくる以前は狩猟採取の生活を送っていたわけです。その時代の方がずっと長い、縄文文化は1万年続いたと言われていますね。ではその前は何を食べていたのでしょうか?

私たちが命を繋ぐには、他の生命をいただくしかないのですね。
それが、動物であっても植物であっても。

アーユルヴェーダでは、その土地のものを推奨します。
私たちの身体にそれぞれ適切な食べ物の歴史と、その土地にふさわしい食べ物、その気候風土そういうものはそれぞれの土地で違うものでしょう。
けれども、私たちは現在、世界中の情報を得て、世界中の食べ物を手に入れることができます。それは楽しいことでもあり、不自然なことでもあるのです。
「地産地消」「旬のものをいただく」が理にかなっているのですね。
これが、私たちの身体に一番適した食なのではないでしょうか?

ヨーガを深く学んでベジタリアンになることはごく自然なことだと思いますが、
他人にベジ生活を強要する、ベジタリアンでない人を非難する、というのは、
全然ヨーガの人ではありません。